2009年に観た映画

2009年6月28日 (日)

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

家に帰り着くまでがコスプレです、というポリシーなんだろうか? 新宿駅の改札内でコスプレした格好のまま駅のホームに向かっていたであろう二人組を見て、何処で着替えるんだとふと疑問。
雨のうえ時間が遅めなので人が少ないかと思ったらかなりの入り。
本編前の予告で前回と同じく MW も流れる、今回これが PG-12 な事に気がつく、素直に作れば R-18 だと思えるのでかなり骨抜きにされている予感。

予告が終わって始まる本編 破。

ああなればこうくる、こうくればああなる、見ていて安心というか満足な展開。
完全にレールの上でもなく意外性もある。
ビールの缶の山の向こうに何かあるはず、と誰もが考えつつ次のシーンを待つ(?)そこに『ストロー』。ストローは上手い手だけどストローで飲む人なんていねーよ、とか思っていたら確かに”人”じゃなかった、ストローに合理性を持たせる念の入り様。
面倒だったのか皮肉なのか金銭的な問題か単に好きだったのかと考えずにはいられなかった"無いよそんな単品ばかりの自動販売機"とか、 ロータスヨーロッパ は"あの"ロータスヨーロッパで良いんだろうか?

重量感、躍動感、疾走感、動きの一つ一つがもっともらしい。

"カチリ"と切り替わるのはテープなDATだからこそ、iPod のようなプレイヤーでは出来ない小技。
切り替わったのは何なのか。

解説セリフ長いよ、という点はまぁ。

次回予告で、救われていたのか、実は「おめでとう」な世界のワンシーンで本当には救われていないのか。おそらく前者と想像しても素直に考えさせないのがこの映画。
二つあった階段が一つ差し変わって一つに減ったのか、二つとも最終的に無くなるのか、やっぱり階段は二つなのか、それとも気がついていないだけで増えているのか。
展開が読めずに不安というより他もひっくるめて風呂敷どうやって畳むのかが不安にもなりつつ Q に期待。

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2009年6月 6日 (土)

ターミネーター4

何がきっかけで引き戻されるかはわからないもんだな、と実感。

ターミネーター4。
先行上映を比較的大々的にやっていたので見てみる。色が薄い、セピアな世界、まぁそういう未来像なんだろうと。
SF ではありがちなモノトーンな映像。なんというか、抜けるような青空、のような明るいシーンを見たい、とかなり抑圧された状況になりつつも、まぁ、こんなもんなのかね、等とそれなりに見ていた。

終盤に差し掛かったワンシーン、VAIO の Type U の UX
コイツで何もかも本格的に冷めた。
SONY Picture Entertainment 、大雑把に言って SONY の PC 以外が出てくる可能性はきわめて低いのは見る前から分かりきったことで、この映画で今ある VAIO が出てくるのはこのシーンだけでは無い。「ここで、コレを出すか」と思った瞬間に冷めた。

UX を時間軸に当てはめると15年前のPCを使っている、ガワが昔で中が最新という設定があったとしてもそんな感じ。
UX に先進性が無かったとかそんな事ではなくて、むしろ UX が他にない PC だったからこそ使われた、とは思う。
ただ、ここで ターミネーター4 はあくまでも現実の今の時間軸の先に設定しているような気がして冷めた。

たとえば、DATウォークマン、あり得たけどあり得ないものが出てくるだけで、決して交わることのないよく似た別世界のお話、という意識付けがされたよな、気がつくとそう比較していた。
本編前の予告(DATウォークマンの続き)が流れていた時の危惧、コレを見ている時が今日のピークだったらどうしよう、が現実になったのかなとも思った。

A-10 が飛び回る事に関しては 「へー、A-10、久しぶり」と流していたのが不思議な気もする。

ターミネーター3 の時には、救いがないなという気はしても「”わっか”を繋ぐ」というところで面白いと思った、救いが無い話が嫌いという訳でもないし。
今回の ターミネーター4 は人に勧める時、何か語れ、と言われたらかなり困る。
凄くても面白味に欠ける。

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